第二章「純粋なる智慧」
昨日まで私は夢幻の中をさまよっていた。
だが、わたしは今目覚めた。
非の打ちどころなく、静かに世界を超えて。
身体と世界は私の光から立ち現れる。すべては私のものであり何ひとつ私のものではない。
身体と世界を手放した今、私は特別な贈り物を受け取る。
私は無限の真我を見る。
逆巻き、泡立つ波がただの水でしかないように、
真我から現われ出る森羅万象もすべて真我でしかない。
一枚の布切れを見てみなさい。 それはただの糸でしかない。
同じように、森羅万象も間近に見れば真我でしかない!
サトウキビの搾り汁の中の砂糖のように
私は、私が創造したすべての中にある甘味なのだ。
真我が知られないとき、世界は現れる。
真我が知られれば、世界は現れない。
だが、あなたはロープを蛇と見間違えたのだ。
ロープとわかれば蛇は消え去る。
私の本性は光 ー光以外の何ものでもない。
世界が現れるとき、ただ私だけが輝く。
世界が私の中に現れるとき、それはただの幻にすぎない。
水面にきらめく日の光や真珠貝の銀の縞模様。
ロープを蛇と見間違えるときのように。
世界は私から現われ出し、私の中へと溶け去る。
溶かされた金の腕輪や溶かされた土塊となった壺や静まり海に戻った波のように。
私は私自身を讃える。 なんと私は素晴らしいのだろう!
私は決して死なない。
ブラフマー神から草の葉にいたるまで全世界が消え去ろうとも私はここに在りつづける。
なんと素晴らしい! 私は私自身を讃える。
姿かたちを得たにもかかわらず私は一なるものとしてとどまる。
来ることもなく去ることもない。 しかもすべてに遍在している。
なんと素晴らしいのだろう。 なんと私の力は偉大なのだろう!
姿かたちはなくとも時の果てるまで私は宇宙を維持しつづける。
なんと素晴らしい! 何ひとつ私のものはない。
しかも、何であれ、思ったことや語られたことはすべて私のものなのだ。
私は知る者ではなく、知られるものでもなく、知ることでもない。
これら三つは実在しない。
ただ本来の自己を知らないからそう思えるだけ。
私は完全無欠なのだ。
一から二が生まれる。 これが苦しみの根源だ。
私は二のない、一なるもの。 純粋なる智慧、純粋なる歓喜だ。
全世界は仮の姿でしかない。 ただそれだけを悟りなさい。
それ以外に救われる道はない!
無智ゆえにかつて私は束縛されていると思いこんでいた。
だが、私は純粋なる智慧。
すべての区別を超え、永久の瞑想に生きる。
私には束縛も解放もない。 夢まぼろしは消えうせた!
すべては根拠のないことだったのだ。
森羅万象は、私の内に在りながら何の拠りどころももたない。
身体は無 ー 世界は無だ。
これを完全に理解するとき、どうしてそれらを想像から生みだしつづけることができよう?
なぜなら、真我は純粋な智慧に他ならないのだから。
身体とその恐れ、天国と地獄、自由と束縛。 すべてはただの作り話。
純粋な智慧そのものである私に何の関わりがあるというのか?
私は一なるものだけを見る。
人ごみに 無人の地に。
ならば、いったい何に私が執着するというのか?
私は身体ではなく、身体は私のものではない。
私は分割されない純粋なる智慧そのもの。
ただ生きることへの渇望に縛りつけられていただけ。
私は果てしない海。
想念が湧きあがると意識の風が幾千もの世界という波を起こす。
だが、風が止むと商人は船とともに、全世界を巻きぞえにして、私という存在の底知れぬ海の中に沈みゆく。
だが、ああ、なんと素晴らしい! 私は計り知れない深淵。
すべての生きとし生けるものは私の中にひとりでに現われ
たがいに戯れあい、衝突しあい、そして消えゆく。
コメント